top of page
  • ブラックInstagramのアイコン

_

また一年が過ぎて、先日26歳になった。

最近は日々パニック障害の発作と戦っている。予期不安というやつ。

毎年1〜3月になると深刻に精神状態が良くない方向に向かってしまう。

初めて重いパニックの発作に見舞われたのが20歳の冬で、だから毎年冬は好きな季節なのに苦手だ。春の到来を待ちわびる日々。

こんなものに負けるかと、なんとか正気でいよう社会的な人間でいようと毎日馬鹿みたいに必死になっている。

最も古いパニックの記憶は高校一年生のときに、失恋のショックで家で過呼吸になったのが初めてだったような、記憶が曖昧だ。

次に古いものははっきり覚えている。高校三年生の時に起きた3.11大震災の日。交通機関が麻痺し、自転車で数時間かけて当時付き合っていた恋人を家に送り届け、そこで原発が炸裂する映像をニュースで見て、その夜泊まらせてもらったその子の家で過呼吸で跳ね起きた。あの時は本気で自分の生きている世界が終わるんだと思った。

ここ数ヶ月ほど、ずっと自分の犯した過去の間違いについて考え続けている。6年ほど前に出会ったある人について。

何年も気付きながら逃げ続けていたそれからついに逃れられなくなって、今年は冬の鬱が重い。

どうしてもまた会いたい人がいる。今では連絡手段もないその人。最後に会ったのは2017年の6月。

その人を撮るために僕は生まれてきたと思えるくらい自分の表現の核で、必要不可欠な存在。未だに僕はその人と出会った頃に撮った写真を超えるものを撮れていない。もう一生会えなかったらと思うと死ぬことと同義なくらい苦しくて、ただただ過去の自分を呪うばかりだけど。

また会いたい。きっと。

17歳のとき写真に出会い、今の自分になった。それからあらゆる物事を写真に捧げてきた。全ての帰結はそこにあって、自分を奮い立たせ、何かを生み出し、大切な人たちと出会えて、ささやかな成功に笑い、失敗して迷惑をかけ、それでも全ては必要で、いつだって今日今この瞬間のために全てはあると信じている。

そんな事を毎日真剣に考えていたいつかの自分を思い出して勇気づけられる。まだ歩き続けられる。世界は未知で溢れていると思い返す。同時に、暗がりの隅に座って泣き続けている幼いころの自分の姿が見える。彼を救ってあげたい。大丈夫だよと言ってあげたい。

誕生日にアイ・ソー・ザ・ライトという映画を見た。ハンク・ウィリアムズについての物語。

アイ・ソー・ザ・ライトって凄くいい言葉だ。

ただ無為に生きている訳にはいかない。あっという間に色々が過ぎ去っていく。

永遠の花が欲しい。朗らかに笑っていたい。

 

© Masamitsu Magome 

bottom of page