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最終更新: 2020年12月4日

大好きだった友人が死んだ。


「mさん、死んじゃった」


仕事帰りの井の頭線。

白昼の車内で知らせを聞いた。

ぷつんと何かが途切れ、何も考えられなかった。吐き気がした。


次の駅で降りて、ホームで知らせてくれた友人に電話をかける。


声が死を告げる。


「本当なんだ」


次第に現実に変わっていく。


たまに流れる駅のアナウンスが無性にうるさく感じて、スピーカーを叩き壊してやろうかと思った。


明日会って話そうよ。じゃあ。そう言って通話が終わる。

「もう二度と会えない。話せない」


「もう絶対に、二度と、一生、会えない、話せない」


「置いていかれた」

そんな言葉たちがぽかんとした頭の中を回り続けた。



初めて彼女のことを写真に写した日、会話を全部録音していたことを思い出す。


イヤホンから彼女の声がする。


日付を見ると、ちょうど今くらいの時期だった。

家についてすぐ、ネガを詰め込んでいる段ボール箱をひっくり返してありったけの彼女が写っているものをかき集めた。


もう何も届かないのに。


受け入れたくなかった。理解ができなかった。


死の数日前、彼女の働いている職場の近くに行ったのに、また今度でいいかと会いに行かなかったこと。人づてに聞いた「mさん、馬込くんとまた早く遊びたいって言ってるよ」という言葉。一生、一生後悔し続ける。



本当に綺麗な人だった。


そして優しい人だった。


ずっと苦しみの中で生きている様な人だったから、せめて死後安らぎの中にいて欲しい。


せめて死が救いになっていて欲しい。



死ぬまで忘れない。忘れないでいたい。


これからも写真の中に写し残された彼女と再会し続ける。

あなたがいなくなって本当に悔しいよ。



さみしくて悔しくて仕方ない。

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