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子供の頃から私の育った家では水餃子を作り食べる習慣がある。



ふと、思う。


両親は鹿児島出身だが、鹿児島が餃子で有名という話を聞いたことはない。



もしやと思う理由はあった。十年程前に他界した祖母の存在である。



彼女は中国にかつて存在していた"満洲"に渡った日本人家庭に生まれ育った人であった。



ここまで考えた上で両親に尋ねてみると、果たしてその通りなのであった。



祖母が中国で暮らしていた頃、やはり家族みんなで餃子を食べていたらしい。



それが受け継がれたものこそいま私の目の前にある水餃子なのだ。



もう祖母は亡くなって久しいけれど、この水餃子によって私は祖母の記憶、存在を実感できる。

それは私にとって嬉しくも悲しいことだ。

生前の祖母に、東京と鹿児島という距離のため数えられるくらいしか私は会っていない。

幼少、思春期の人見知りも災いして、私は全く祖母と話せなかった。いつも気恥ずかしく顔を背けていた。

祖母は私に優しい人だった。

思い出すのは、いつも笑みを浮かべながら話す祖母。

あるいは。

晩年脳の病に倒れ、麻痺により表情を作れなくなってしまった、変わり果てた姿の祖母。

そういえば。

鹿児島の祖父母宅に遊びに行くといつも連れて行かれるのは中華料理屋だった。

その中華料理屋も今は閉店してしまって、もう無いのだ。

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