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  • 馬込将充

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自らの欲望を見極め、常に何か目標や願いを設定して生きてきた。

そういうふうにしないと動けないようになっている。目標を設定しそれをクリアしていくことは「前進している」という実感を得やすいからだ。

写真でもそれは同じで、自分が表現したいものを完璧に表現する。賞を取る。多くの人の目に留まる仕事をする。

このように目標を設定し、それをクリアすることに力を注いできた。


そうやって今までやってきて、ある程度叶えてきたはずなのに何も心が満たされていないのは何故なんだろう。自分の手の内に何かつかめているような感覚がまるでない。

自分は何を獲得したのだろう。 本当に何かを得て、成し遂げて、残せて来たのだろうか。


写真をやっている理由を考える。

昔から周囲とずれている人間だった。

誰と接していてもあまりうまくいかない。家族にすら自分のことを上手く話せない。周囲との軋轢ばかり感じていた。

そういう断絶の中で、写真は自分の眼差しや世界をそのまま外に提示し共有できるから好きになったのだと思う。


今まで生きて来て好きになった人が何人もいる。

人との出会いが自分の気持ちを揺さぶり、感動を呼び起こし、糧になっていた。

他者とわかり合いたい。理解したい、してもらいたい。感覚を共有したい。

誰かを求める気持ちが自分の全ての根源みたいなものだった。

なのに、生きてきた時間の中で多くの大切な人との繋がりを無くしてしまった。

今ではその喪失感が自分を動かす糧になっているのがとても悲しい。

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