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最終更新: 2020年12月4日

昔から集団というものが苦手だ。いや、苦手というより怖い。

人と接するときも、私とあなたという二人きりの関係が一番気楽だ。


常々人と人とが完全に理解し合えることはありえないと思っている。

人種が同じ、国が同じ、住んでいる町が同じ、家族、友人、恋人…どんな関係性や類似点を持とうと共有、共感できるものの振れ幅の重なりが変化するだけで、他者同士が完全な同一になることはありえない。


だから自分と全く相容れない人や物事を不快だと思ったり、遠ざけようとするのは至極当然の反応であり人間らしい情動だと思う。


理想、あるいは不満を抱き、何かを欲したり現状を変えようとする力は人が生きていくために必要な原動力そのものだから。

けれど、異なるものが存在すること自体を否定したり、滅却しようとするのは行き過ぎている。世界は自分のためにできていない。ただ無害な心地の良いものだけしか存在する世界などありはしない。


もちろん各々が自分の信条や思想、信仰を持ちそれを大切にするのは何も間違ってはいない。ただ、自分と相容れない物事を排除しようとするのが恐ろしいのだ。

自分自身が大切にしているものを大切にし続けるために、他人の大切も認められる「ある種の無関心さ」を持ち続けたい。


お互いを邪魔せずに、それぞれ勝手気ままに幸せを目指せる状態が自由だと思う。


傷つける恐さも傷つけられる恐さも忘れないでいたい。

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